「上原さんがブルペンにいて助けられた」マーリンズ・田澤純一が振り返る「感謝」の8年間
ボストン・レッドソックスからイチローも所属するマイアミ・マーリンズへ移籍。渡米から8年過ごしたボストンへの思い。田澤純一独占インタビュー前編
■ブルペンに上原さんがいることが助けになった
――そのまま7月に怪我をしてしまいました。メンタル的にきついときというのはどう対応されていたのですか。
田澤 ブルペンに上原(浩治)さんがいることはとても助けになりました。「ちょっと僕たち作りすぎじゃないですかね」なんて笑い話ができましたから(笑)。あとはレッドソックスには日本人のスタッフも多かったので、日本食を出してくれるお店がある遠征地……ニューヨーク、シカゴとかロサンゼルスとかに行ったときにはみんなで日本食を食べて、他愛もない話をするというのがストレス発散にはなったかな。ふだんは日本のバラエティ番組を観る、ですかね。
――なるほど。メジャーで8年間、そうした環境でやってきたわけですが、入団時の3年契約以降は毎年1年契約でした。それを勝ち取ったことは素晴らしいことだと思いますが、一方で毎年先が見えない不安と戦うのはとても大変だったのではないでしょうか。
田澤 不安は多少あったのかなとは思いますけど、僕自身はできることをしっかりやるしかない。契約に関してはエージェントを信じて任せています。だから僕はそのシーズンが終われば、また来季に向けて準備をするだけです。
ただ、レッドソックスというチームには感謝しています。昨シーズン、プレーオフに選ばれなくて悔しい思いはしましたけれど、それは自分が結果を出すことができなかったからですし、最後に迷惑をかけてしまったな、と申し訳ない思いもあります。でも、サポート体制が素晴らしかったですし、オルティスやペドロイアといったスター選手と一緒に野球ができた。何より自分をスカウトしてくれてメジャーでやるきっかけを作ってくれたわけですから、感謝以外の言葉がありません。ここに8年もいれてよかったな、と思います。
――レッドソックスでは優勝という素晴らしい経験もしましたが、一方でトミー・ジョン手術も受けました。どんな8年と形容できますか。
田澤 どうかなあ……。いろいろ経験させてもらいましたけど、つらかったというイメージはないですね。例えばマイナーの生活もしましたけれど、「メジャーに上がってやるぞ」というモチベーションが力になりましたし、メジャーに上がれば上がったで、同じように下から這い上がってきた選手たちに負けないぞ、ということを考えながら過ごせていました。もちろん、メジャーからマイナーに落とされれば、落ち込みますし悔しい。数日間は「悔しいなあ」という思いを抱きながら日々を過ごしていましたけど、「じゃあ、今自分が置かれている状況で何ができるか」ということを考えなければいけないし、「またメジャーに上がるためにはどう切り替えるか」ということが大事だと思っていたんで……、苦しかったというイメージはないです。
――では8年の中で一番印象に残っている出来事はなんでしょう。
田澤 なかなかひとつには絞れないですね……。優勝(ワールドチャンピオン)したというのは良かったなと素直に思いますね。でも、その優勝の輪にいられたことも、手術をしてリハビリを乗り越えることができたからこそ、とも思いますしね。それもボストンに素晴らしいドクターを紹介してもらって手術したわけですからやはり、ボストンにいられたことが一番かな。本当に感謝しなければいけないですね。
(「野球を辞める覚悟で渡米した」と語る後編は1月31日に公開予定です)